カムパネルラはどこへ行ったのかな

「あと少しなんだ」
その言葉が頭をちらつくことが最近多い。
だけど、それはふとした瞬間に訪れて、気がつかない間に消えてしまう。
理性的な言葉なんていうものではなくて、ぽつりと波紋のように心の中に浮き出してくるのだ。「あともう少しで、すごくよくなるような気がするんだ」なんて。
それが何なのかは全くよくわからなくて、それについて深く考えることもできない。
漠然とすごく綺麗な素晴らしいものが目の前にあって、それを掴めそうな気がするのだ。
けれど、それは絶対につかめないものだし、つかんでもするりと抜けてしまうだろう。
だってそんなものでしょ?幸せでも愛でも、なんでもいいけど、そういうよくわからない何かってさ。

だけど、こんなのから逃げきれるわけないよね。
近づいただけでこんなに気持ちいいんだもの。絶対手に入らないんだから、確実にジリ貧だろうけれど。
ほんと、ぶら下げられたニンジン、とはよく言ったものだと思うよ。
なんて。

余白

時間をうまく使うのは昔から上手くなかったように思う。
それでも数年前は、使っても全く磨り減らないようにすら感じる思春期の膨大に有り余った時間においては、常に余白が残されていて。
その中で飽きっぽい故にいろいろなことをやっていた僕はやれ、本を読んだり、映画を見たり、エロゲーをしたり、まあいろいろなことをしていたように思う。
たぶん、時間が余っているはずなのは今もあまり変わりはないはずなのだし、使い方もあまり変わってはいないのだけれど、その頃に比べるとそうした余暇の色鮮やかさというのはどうしても褪せてしまう。
それはたぶん様々な要因が関係しているのだけれど、外に出るようになったというのはものすごく大きいのかもしれない。
もともと引きこもり的な性質のあった僕はひとり遊びはもっぱら自分の部屋の中で、外に出ることなんて気晴らしのサイクリングぐらいだった。
その中で触れた創作物というのはいろんな想像力を働かせてくれて、その印象が今も鮮明に残っていたりする。

文字を読むのが好きだ。特に活字は。
最近はめっきり本を読まなくなってしまった。おそらく年に20冊も読んでいないだろう。それは映像や演劇といったほかのメディアに触れる機会が増えてきたということもあるけれども、それはそれで寂しい話だ。
読みたいと思ってはいても、時間がなかったりとかしばしば。時間があると外に出かけてしまう。
最近、よく昔のことを思い出す。きっとそれは未知のことに思いを巡らせる時間がめっきり減ったからだと思う。
まだ、年はとってない。
投げやりに積み上げられた本の山が不憫で仕方がない。少しでいいから崩してあげたいなあなどと思う、夜明け前。

『文化系体育会』

まあ昔から書評やら感想文というのを書くのがものすごく苦手だった。
というのも、そういう分析的な読み方をするのは苦手だったし、面白かったものについて語ろうとしても、楽しかったやら面白かったやら、そういう陳腐な言葉しか出てこなくて書いているうちに嫌気が差す。かといって面白くない作品については、書く気にもならない。感想が言葉にしやすいであろう、読書ですらそれなのだから、演劇となってしまえばさもありなん。去年の夏ごろから結構数の舞台を見ていたわけだけれど、一度として言葉をしたいという願望は生まれなかった。にもかかわらず、今回劇評を書いてみようと思ったのには、いくつか理由がある。
ひとつには今回の演劇自体がすごく面白かったということ。
二つ目はそれでいて非常に複雑な感情を抱いてしまったこと。
最後に、物語の構造というのが非常にわかりやすく、言葉にしやすかったこと。
そうした幾つかの理由で今回、うだうだと書く事にした。ずいぶんと前置きが長くなってしまったけれど、そろそろ作品について語ろうかと思う。


青春という言葉は、よくいい意味で使われがちだ。
例えば、オヤジたちのよく言う「青春してるねえだとか」、カップルを見かけたときに言う「青春真っ盛りだわ」とか。そういう風に若さを謳歌しているのを形容するときによく使われている。だけれど、年寄りから見た若者というのは瑞々しかったり、楽しそうだったりするわけだけど、実際本人たちからすればそうではない。青春は甘くて苦い、なんていうのはよく言ったものだけれど、思春期の感情豊かな時期からすれば当然のことだと思う。人一倍楽しみ、人一倍苦しむ、なんてものが思春期の人間たちの揺れ動きというものだ。それがもしかしたら感情が摩耗してしまった大人たちから見れば眩しく見えるのかもしれないけれど。
これはあくまで、僕の実感に過ぎないけれど、「暗鬱とした青春」というのがクローズアップされたのはゼロ年代の小説からのように感じる。まあもっともそれ以前にも多くの作家が描いてきたものだろうし、ただ僕がそうした本に多く感化されてきただけの話かもしれないが。ただそれは学校という空間が誰にとっても楽しい空間ではない、ということが明白になってきたということもあるのだと思う。

この作品は学校という舞台を使っているが、それは格差社会だとか、いじめだとか、ちょっとした人間関係だとか、そういう学校生活におけるネガティブな部分をフォーカスしている。そもそもテーマ自体が「リア充女子が〜〜」だし、コミカルに綴られていく物語の隙間隙間あるいは、大きなシーンを持って、にそうした描写が組み込まれている。青春が楽しいだけの一面的なものではなく、そうではない痛みだとか苦みだとかそうした面からも物語は綴られる。それはおそらく見ていた人々にある種のフラッシュバックのように痛々しい記憶を引き出す。たしかに物語上で描かれたそういう表現はひどく表面的なものであったが、学校生活というものを多面的に描くこと、また場面がコロコロと変わる演出というのは鑑賞者の個人的な経験を喚起させる。そしてまた登場人物の問題点というのが解決されないまま、物語は終焉を迎えるということが、ひどく生々しく、そして痛みを伴った感情を持たされた。

青春の痛みというのは一生消えないものなのか。
あるいは時間が忘れさせてくれるのか。

時間が麻痺させていた痛みを思い出させる作品だったと思う。
ひどく個人的な感傷。

濃紺

襖を開けると午前3時の匂いがした。
春はゆっくりと近づいてきたこの季節とはいえ、まだまだ暗くなると少し寒い。
季節の変わり目と呼ぶにはふさわしい、寒いとも暑いとも言えないような曖昧な空気だ。
僕は昔から寝つきが悪くて、寝床に入ってからすぐに寝られたためしがない。
この夜も布団に入ってからすでに二時間が経っていた。
天井のそこに広がる終わりのない暗闇を眺めながら、ぼんやりと空想にふけることにもそろそろ飽き始めた頃、尿意を催した僕はトイレに行きがてら一服しようと人肌の残る布団をのっそりと抜け出た。

僕の部屋は6畳一間の小さな部屋で、部屋に敷き詰められた畳や、年代を感じさせる天井の色というのは物語の中でしか見たことのない昭和のアパートを思い出させる。
そんな、少しだけ建て付けの悪い襖を電気も付けない暗闇の中、手探りで開けると、少しだけ冷たい空気が体を包み込んだ。
開けっ放しておいた窓の外からは明け方前の一番暗い空気が流れ込んでいた。
じっと暗さに慣れていた目を凝らし、時計を眺めると短針と思しきそれは3の位置を指しているように思える。
草木も眠る丑三つ時。
そんなことを考えながら僕はひっそりとライターの火を灯した。
暗闇に溶け込んでいく煙や、タバコの先でじっと光る炎を見ながら、外から流れてきたのであろう鍵慣れた匂いに思いを巡らせていた。
それはいろいろな思い出を連れてくる匂いだった。

祖父の家は何年か続いた魚屋だった。小さい頃はよく父親に連れられて、寒い冬の深夜に家を出て手伝いに行っていた。

眠気すらも覚ましてしまうような冷気に体をがたがたと震わせながら、家の門を出て、暖房の効いた車内へと飛び込む。そして、オレンジ色のライトが光る深夜の高速道路を走って、祖父の待つ市場へと向かうのだ。市場につき車を降りると、夜の暗さも吹き飛ばしてしまうような異性の良い声と、商品を照らすまばゆいばかりの光が、少年を出迎える。

手伝いに来たと言いつつ、彼は店の中に置いてあるストーブの前で座って、様々な種類の魚を見て突っついたり、魚を裁く姿を目を爛々とさせながらじっと見つめているのだ。
そんな姿を彼の祖父母や、店の従業員は温かい目で眺め、時としてさまざまな言葉をかける。
「この魚はな、きすって言うんだぞ」
「きすって魚編に喜ぶって書くんだよね?知ってるよー」
先日、買ってもらった百科事典で見た知識を自慢げに披露する少年に、周りの大人は少しだけ大げさに驚いてみせる。
「すごいなあ。〜〜は頭が良いねえ。きっと将来は総理大臣になって日本をひっぱるんだな」
「ちがうよ。ぼくはトーダイに入ってお医者さまになるんだよ」
そうかい、頑張りな、と優しい声をかけられて頭を撫でられると、彼はすこしだけぽかんとして、また捌かれていく魚たちを眺める。

空が明るくなり始めると、少年はダンボールの中に入れられて客引きをはじめる。
時期はちょうど12月の終わり、暮れの時期だ。普段は一般の客が訪れず、すこしだけがらんとしているこの場所もこの時だけはいつもとちがった賑やかさが訪れる。
「いらっしゃい、いらっしゃい数の子やすいよー、いまならお値段割引しますよー」
と覚えたばかりの言葉をつたなく話す彼に周りの大人は少しだけ苦笑いを浮かべながら、たしなめる。
「だめだよ、〜〜。そんな値引きしたら儲けがなくなっちゃうよ」
そうなんだ、とうなづく彼も少しするとまた忘れたように値引きしますよー、と声を張り上げる。

そんなことを10年近くも繰り返していた。
思春期の頃は声が出せずに客引きができなかったり、配達の荷物の重さに四苦八苦していた。
いとこが生まれた頃は背中にしょってうろうろとそこらを歩いて回った。

そうした様々な思い出が、タバコの火の向こう側に鮮明に移り変わっていった。
何分経ったのだろうか。火がタバコのフィルターのあたりまで進んで行き、煙の匂いも少しばかり変わってきた頃に僕はタバコを灰皿に火を押し付け、再び寝床へと向かった。

生まれてから、僕の成長と共に歩を進めていたあのお店はもうない。
祖父が急病で倒れ、そのまま息を引き取ったあと、彼のあとをたどるように静かに店は畳まれた。もう数年前のことだ。
大型のスーパーが台頭し、その財力が振舞う猛威に、祖父が無くなる前からすでにさらさていたということを祖父がなくなった数年後に両親から伝え聞いた。
店がなくなる頃、周りのお店が続々と店をたたんでいたという事実がふと思い出された。

そして、祖父がなくなったあと、祖母が一人で住んでいた家も数年後になくなった。
今となっては取り壊されて、空き地となっている。

だからもうこの思い出は行き場もなくふわふわと浮き漂っているだけのものだ。
時折こうして眠りから覚ますときはあるかもしれないけれど、それはもう記憶の奥底に沈んでしまっている。
なくなってしまったもの、忘れ去られてしまっているものを、こうして思い起こすのは郷愁以外のなにものでもないのだろうか。

僕はゆっくりと目を閉じた。今度は眠りの誘いがすんなりと訪れて、僕はそのまま意識の底に沈んでいった。

何が残ったのだろうね

雨の日はあまり好きではない。特に春の雨は。

色を取り戻したかのように見えるこの季節に、唐突に訪れる泣き顔は、映画の中の回想のように思えてしまって、どうにも落ち着かない。得てしてこういう時に訪れる記憶というのはあまり触りの良くないものばかりで、ちらつくだけでやたらと陰鬱な気分になってしまう。

昔はよく過去のことを引っ張り出してはああでもないこうでもないと引っ掻き回し、自分の都合の良いように振り回していた。
記憶というのは自分が思っているよりも曖昧なもので、事実としては残っていても、その時何を思っていたのかなんていうものは、回想している時の自分がある程度コントロールできてしまう。かと思えば、悪意もなくおこなっていた行為が、ふと振り返ってみるとひどく醜悪なものに思えたりして、ひどい自己嫌悪を起こしたりする。そんな自家中毒と快復を繰り返していた。
最近はそういうこともなくなっては来たけれど、やはり時間とか記憶というのは、どんなに泣いても叫んでも流れて過ぎ去ってしまうから、ひどく残酷なものだ。そんなことを考えてまた陰鬱になる。雨があまり好きではないのは、内省やら自己言及やらの声がやたら大きくなってしまうからというのもあるのかもしれない。

駅から降りて、橋の向こう側に見える雨に霞む病院を見たときに、いつかの記憶と重なって見えた。その記憶はひどく曖昧でぼやけていたけれど、ただ漠然とした寂寥感だけが胸の底に響いて残った。
病院は別に幼いころ毎日のように通っていたから、死の臭いと直結しているわけではないのだけれど、やっぱりそういうのはちらついていたのだろう。

久しぶりに訪れた大学病院の中は慣れ親しんだそれのようにも、全く様変わりをしているようにも思えたけれど、違和感というのは特になかった。診察までの数時間の間、本を読んだり、ケータイをいじったりして時間を潰していたのだけど、周りは年配の人々で混雑していて、座っているのがどうにも申し訳ないようにも思えてしまう。しかし病院に来ている以上、こちらも病人なのだから、と理論武装をして、亀の甲羅にこもるが如くディスプレイと活字に集中をしていた。
いろいろな検査を受けて病院を出る頃には、日も落ちかけの夕方で、疲れたこともあって、実家に帰ることにした。

最寄の駅に降りると、きらびやかな照明と無機質な建物たちが出迎える。家へと歩を進めていくにつれて、調和のとれた「街」に入っていく感じが全く慣れない。人工都市ともいえるこの街はある意味クリーンで住みよいのだろうが、異物を完全に排除しているようにも思えるその街並みには息苦しさを覚えてしまって、僕はあまり好きではない。

玄関のドアを開けて、ぼそりと「ただいま」の言葉をぼそぼそとつぶやく。リビングに入り、タバコを一本吸い終わるころに、母親が「ドアの外、見てきなよ。ビルにライティングがされてるよ」と言う。のっそりと立ち上がり、ドアに向かう僕に、興味本位の弟がくっついてくる。
視界の端に入ったのは窓ガラスの照明でかたどられた「3.11」の文字。「どこどこ?」と騒ぐ弟に場所を伝えると、「おおっ」と素直に驚いている。
それはとても綺麗で、まるで去年の出来事が美しかったようにすら感じてしまう。
きっとここでだけじゃなくて、日本中でこんな景色が生まれているのだろう。今日という日を「忘れない」ために。
ショッキングで悲惨な記憶は煌びやかで中身のないものに塗り替えられていく。しかし、それは慰霊の儀式が傍目から見れば美しく見えるのと同じことだ。その表層に大して意味がないことなんて、知っている。

寒いから、と言って早々に部屋に戻った弟のあとを続くように、僕はリビングへと戻った。テレビでは津波の映像がただ淡々と流されている。

今年ももう終わりだとか。
一年が終わるという感覚がひどく希薄に感じられる。
ここ最近、年という区切りがあまり重要に感じられていないからそうなのだと思うが、とはいえ積み重ねてきた年齢がすこしずつ重くのしかかり始めている。
塵も積れば山になるなどと言ったりするが、目に見えないものというのは、余計にそういう実感を持ち始めるのは遅いのかもしれない。

改めて2011年を振り返ってみたときに、ひどくたくさんのことがあったような気がする。まあひとつひとつ振り返ってみても、埒があかないからざっくり言ってしまえば、いろんなものがなくなったなあ、と。
それはもちろん年齢によるものもあるし、物質的にもいろいろなものがなくなったんじゃないかな。あまり書きたくはないけれど、やっぱり3月の震災というのはいろいろなものを奪ったのだろうね。
僕自身もいろいろなものが壊れて壊されて、自壊して。良くも悪くもいろいろ変化した。ひどくムラの大きな一年間だったと思う。

毎年、積んでは崩し、積んでは崩しの繰り返しで、賽の河原やシーシュホスの神話なんて思い起こしてしまうわけだけれど、案外みんなそうなのかもしれない。
ただ、今年はたくさん崩した気がするから、来年はたくさん積めるのかもね、なんて希望的な観測を持っていたりする。
スクラップアンドビルドは大事だよ、なんて。

というわけでお世話になった皆様。
今年はどうもありがとうございました。
いろいろご迷惑をおかけしたかと。
未熟者ですが、来年もどうぞよろしく。

というわけであと少しではありますが、みなさまよいお年を。

欠けたのは角砂糖のかけら?

ブログのパスワードを忘れてしまって、ログインするのが大変だった。そんな休日の昼過ぎ。

ブログを書いていないこのひと月近く、さらに言うなら8月の半ばあたりからやけに時間の流れをゆっくりと感じるようになっていた。
意に反して周りの流れは速く進み、時が進むほどそのギャップは大きくなってしまう。
自分が遅いのか。世界が速いのか。
自分の目で物事を見れば見るほど、ありのままの姿からは遠ざかり、余計に形はゆがんでしまう。概念的なものであればあるほど。
ありのままのものを受け入れることができないから、輪郭線ができるのだろうと思う。

できる限り、言葉というものから離れようとするようになった。
感じたことや考えたことを形にしないようにした。
あらゆるものを曖昧なままぼんやりと考えている。
因果や論理ではない断片的なもので埋め尽くされていく。
全体像はまだ見えない。
見える必要があるかもわからない。