年越しの日のこと

年越しそばを食べようかなと国分寺まで出たバイトの帰り道。
そばを食べようにも、行きつけやらお目当ての蕎麦屋があるわけでもなく、てんやにでもそばあるかな、くらいの簡単な気持ちでふらりと向かった。
時刻は午後9時。
駅を降りると、ぽつぽつと飲み屋帰りの学生がフラフラしているくらい。人はほとんどいない。
いつもよりも小さいキャッチの呼び込みの声がはっきりと聞こえるくらいに閑静な駅前は、雑然としたいつもの風景からは異様にも感じられた。

お目当てのてんやに向かうと、ちょうど店仕舞いを始めていた。
「すいません、今日は9時までなんですよ」
別にてんやで食べたかったというわけではないけれど、それにしても困ってしまった。
せっかく重たい足をわざわざ運んできたというのに、何も食べれないというのではあまりにも切ない。
このままだと家でコンビニ飯を食べることになってしまう。
未練がましくその辺りをウロウロと歩いてみるものの、空いているのは24時間のチェーン店ばかりだ。
仕方ないから帰ろうか、と諦めかけたその時に、さきほどラーメンの屋台が店を構えていたのを思い出した。
まあラーメンでもそばには変わりないしな、とその屋台へと足を運んだ。

屋台といっても小さなトラックくらいの大きさの車が駅前に止めてある。支那そばと書かれた赤提灯がぶら下がっていた。
近づいていくと、大学生らしき集団が
「おっちゃん、また来年なー」
などと言っている。


「すいません」
声をかけると、少し驚いた顔をした店主は
こんばんは、と明るい声を返した。
「しょうゆ、塩、味噌あるけど、どれにする?おすすめあしょうゆのうすくちだけど」
「じゃあそれで」
こちらを向いたおっさんは一見強面だが、よく見ると柔和そうな顔立ちである。それこそおっちゃん、と呼びたくなるような。
「こんな日にもやってるんですね」
「ああ、本当はやるつもりじゃなかったんだけどねえ、ここ数日雨が降ってたからさ」
おっさんは麺をほぐしながら言う。
「こんな日の方が仕事を丁寧にするからいいよ」
「それはうれしいですね」
「あんちゃんにとってもそうだけど、こっちにとってもそうなんだ」
出来るまで数分間、他愛のない会話をだらだらと続けていた。

「あいよ、お待ちどうさん。しょうゆのうすくちね」
「あ、どうもー。うまそうっすね」
「うちのラーメンはいい材料使ってんだ。メンマなんてね、買える中で一番高級な奴なんだよ」
スープを一口すする。懐かしい中華そばという味が口に広がる。冷えた体にはその暖かさがありがたかった。
そして麺をすすり始めた僕におっさんは
「にいちゃんなにやってんだい?」
と聞いた。麺を口の中に含んでいる僕は時間をかけながらも、答えた。
「大学生です」
「俺は二部だったんだよ」
「・・・夜間ですか?」
「ああそうだ、〜〜のな」
そうしておっさんの身の上向上が始まった。
バイトをしながら大学に通っていたこと。そしてバイトから大手の広告会社に入ったということ。
会社の名前を聞いた時にすこし考えた。どうしてラーメン屋などやっているのだろう、と。
しかしそれを聞くことはなかった。ただその場しのぎの返答として、
「あ、僕そこの会社行きたいんですよー」
と答えた。別に行くつもりも受けるつもりもなかった。
何気ない会話のつもりだったけれど、おっさんの目がそこで急に鋭いものに変わった。
「にいちゃん、時間あるかい?」
「え・・・ありますけど」
「なら、ちょっといいかい。いろいろ教えてやるよ」
そこからはもうおっさんの一人口上だった。どういう会社なのか、仕事はどうだったのか、などなどを口を挟む暇もなくとつとつと喋った。
僕はただただうなづくばかりだったと思う。
おっさんから放たれる言葉を聞いているうちになぜこんなことをやっているのか、ということはその響きからぼんやりと拾えるような気がした。

「にいちゃん、なぜかって考えることは大事なことだ。どうして今のテレビはつまらないのか。どうしてこうなっているのかってね」
話に熱が入ってきた頃、
「ラーメンいいですかー」
と言って、一人客が入ってきた。
おっさんはそのまま少し話していたけれど、入ってきた客にああ、ごめんね、と謝ってから我に返ったようだった。
「にいちゃん、適当な頃にまたおいで。俺はこの話だったら一晩だってできるからさ」
僕は丁寧に礼を言って駅へと向かった。
ほのかに甘いラーメンの香りが今も少し残っている。
今年ももう終わりだ。