余白

時間をうまく使うのは昔から上手くなかったように思う。
それでも数年前は、使っても全く磨り減らないようにすら感じる思春期の膨大に有り余った時間においては、常に余白が残されていて。
その中で飽きっぽい故にいろいろなことをやっていた僕はやれ、本を読んだり、映画を見たり、エロゲーをしたり、まあいろいろなことをしていたように思う。
たぶん、時間が余っているはずなのは今もあまり変わりはないはずなのだし、使い方もあまり変わってはいないのだけれど、その頃に比べるとそうした余暇の色鮮やかさというのはどうしても褪せてしまう。
それはたぶん様々な要因が関係しているのだけれど、外に出るようになったというのはものすごく大きいのかもしれない。
もともと引きこもり的な性質のあった僕はひとり遊びはもっぱら自分の部屋の中で、外に出ることなんて気晴らしのサイクリングぐらいだった。
その中で触れた創作物というのはいろんな想像力を働かせてくれて、その印象が今も鮮明に残っていたりする。

文字を読むのが好きだ。特に活字は。
最近はめっきり本を読まなくなってしまった。おそらく年に20冊も読んでいないだろう。それは映像や演劇といったほかのメディアに触れる機会が増えてきたということもあるけれども、それはそれで寂しい話だ。
読みたいと思ってはいても、時間がなかったりとかしばしば。時間があると外に出かけてしまう。
最近、よく昔のことを思い出す。きっとそれは未知のことに思いを巡らせる時間がめっきり減ったからだと思う。
まだ、年はとってない。
投げやりに積み上げられた本の山が不憫で仕方がない。少しでいいから崩してあげたいなあなどと思う、夜明け前。