眠れない夜には温かいミルクを

この季節、夜を歩くのが好きなのはいわゆる中二病うんたらというよりも恐らくその匂いによるもので、金木犀の香る真夜中の風景は僕の原風景に近い。
幼少期の頃はひどく体が弱かったのだけれど、よく咳がひどくなると母親に連れられて涼しい秋の夜を散歩した。
外の涼しい空気に触れているうちに、肺の奥がつまっているような感覚が無くなっていき、ひどく新鮮な空気を感じてやけに気分がよかった。夜を闊歩するのが好きなのはそんなことが関係しているのだと思う。
昔から嫌なことがあると、よく外の空気を吸うために夜の街をふらふらと歩いていた。別にスリルとか刺激とかを求めていたのではなくて、ただ単に外の空気を吸っているだけで気分が落ち着いたのだ。
ある冬のことだったと思う。たしか母親と喧嘩になりそうなときのこと。どうにも気分が悪く、気分も落ち着かない。自分で心を諌めようとしてもどうにもならなそうだった。僕はごめん、と言って彼女を背を向けて家を出た。外の冷たい空気を吸えば少し落ち着くかな、と思ったのだ。外に出て、自転車にまたがって、どこというわけでもなく街中をうろついた。時間はたしかちょうど日付が変わりかけのころ。街の明かりはほとんど消えていて、しん、という音が耳についてしまうほど静かだった。駅前に向かうと、まだ少し賑やかでそれでいて妙に寂しげな雰囲気だった。もうすこしだけ、進んだ国道はオレンジの街灯が優しく街を包み込んでいて、妙に安心感を覚えた。そして家に帰ろうと思ったことを今もまだ覚えている。帰り道に通りがかった駅は終電も終わり、ただ白い光だけが無機質に辺りを照らしていた。
利用されていない駅を見るのはそのときがはじめてで、寂寥感や心細さという感情を持った。

そんな夜の街の記憶はいつも冬の情景だけ。
冬の記憶はどこか肉感的で、そしてどこかあたたかい。なぜだろう。とても寒いはずなのに、といつも思ってしまうけれど。
だけど、ひとたび外に出ればまたあたたかい記憶に包まれていく。まるでプルーストがしていたかのように。
たぶんそれは冬の匂いのせい。目を閉じればいつだって昔の私は側にいる。