ラピスラズリは輝く雪の中に

昨日はサラダ記念日と呼ばれていて、ある作家が一つの短歌の中で歌ったことに由来するという。世界的に有名な日でもなく、ただ「この味がいいね」と言っただけの日がこんな認知度になるなんて詠んだ本人すら想像していなかっただろう。25年近く前にブームとなって日本中を巻き込んだこの詩集を実際に読んだことをある人間が果たしてどのくらいいるのだろうか。かくいう僕も読んだことはない。ほとんどの人間が実際には目にしたことはないが知っているというのはフレーズがキャッチーでつい口ずさみたくなるからに他ならない。それは唄であろうと言葉であろうと変わらないことであろう。
そして今日は七夕である。日本独特のこの行事は東北地方ではちょうど1月後にあたる8月7日に行われる。織姫と彦星が年に一度だけ出会うとされている日になぜ短冊を笹にかけるのかは僕もよく知らなかったりするが、ちゃっかり僕も家にあるコーヒーの植木に願い事をかいて貼っておいた。別に神様に期待するつもりは露ほどにもないけれど、どうせならと思って他愛のないことを書いておいた。とりあえず、お祭りだからという思考はなんともミーハーだなと我がごとながら思ってしまう。絵馬もそうなのだけれど、願い事を人の目にさらすということには何か意味があるらしい。もともとはきっと神様のお目にかけるという意味合いだったのだろうけれど、今となっては後に引けないということなのか、あるいは決意の表れを示すことなのかもしれない。ただそのこと自体にも意味があるのかもしれないなとも思う。だからと言って僕の願い事をこんなネットの片隅に置くのもためらわれて、人の願いばかり野次馬根性をむき出しに盗み見たりする。眺めてみると、僕のようにたいしたことのないものもあれば、ひどく切実なものもあってなんとも切ない気持ちになる。自分自身ではどうにもならないことも世の中には腐るほどあるのだと、その事実をまざまざと見せられているようで。結局神頼みというのは人間に残された最後の手段であって、そうそうするものではないと考えるのは日本に住む半端な無神論者の戯言なのだろうか。
そういえば、3日前の7月4日というのは独立記念日らしい。僕が独立できるのはいつになるのだろうなんて、なんともむなしい空事を思ったりする。