深夜というのは独特の空気があって、昼間とは全く異なる空間が構成されているかのように感じる。むかしから物語の中によく用いられるのはそのせいかもしれない。夜は視界の見通しが悪いので基本的には人間の脅威になりそうなものだけど、その分だけ想像力が欠きたてられるのだろう。何も見えないというのはそこはかとない強さがあるように思える。底が深いのだ。
夏も始まったからうんざりするほど暑いのだけれど、夜になると風もあって少しだけ涼しい。部屋の空気が篭ったときなどには外に出てふらふらと歩いたりする。深夜徘徊というと人間観察という言葉に似ているから、なんだか胡散臭い響きだけれど、暗い分街灯やネオンなどの光が存在感を増してすこし神秘的な世界になる。あまりにもそれが強い新宿やら渋谷などの都心というのは逆に味気ないものだけれど、少し住宅街に入ってしまえばその神秘性は強さを取り戻す。浪人時代はよく友人と飲み会のあとぶらぶらと夜の街を歩いたものだけど、今はそんなこともしなくなった。しいて言うなら、バイト帰りにだらだらと歩いて帰路に着く程度。夜の街の異空間じみた雰囲気は「いまここにいる」という現実感を失わせてしまうから、いわば現実逃避をしているような気分だ。夜の闇と一体化したような奇妙な感覚は心地良いような居心地の悪いようなそんなふわふわとした感じ。光と闇の割合というのはいつだって大事で、どちらが1になってしまってもだめ。コントラストの強い空間はその境界線を明確にするから、強くて人を寄せ付けない。それが曖昧な空間ははっきりとした境界がなくなってしまうから、子宮の中にいるような安心感を覚える。きっと夜の強さとやわらかさというのは、その二つが両立しているからあるもので、だからこそ夜の空気は居心地が良いのだろう。昼の光というのはあまりに明るく正しくそして強すぎる。僕らのような曖昧な人間にとって、それは近寄りがたいもので、だからこそ真夜中の海のような、そんなぼんやりとしたものに心惹かれる。うすぼんやりとした青の中に自分を投影して、暗闇の中に溶け込んでいく。そんな妄想をしている月の見えない夜のこと。