卵の中の鶏との対話篇


先週は五回更新していたので、じゃあ週五回更新にしようと思っていたらあっさり崩れてしまった。週休二日とかちょうどいいやと思っていたのに。このようにスケジュール管理というのが極度に苦手な人間で全く持って困ったものだなあと思う。まあブログを書くことなんて義務でもなんでもなくて、むしろどうでもいいことの範疇に収まりうるものだと思い込むことにして、気を紛らわせる。
まあ僕の個人的事情なんかはどうでも良い話でしかなくて、むしろ世界情勢に足を踏み入れてしまうような社会派ブログを志してみようと思うのだけれど、そんなことをし始めたらそれこそ日記を書く頻度があからさまに落ちるのは日を見るより明らかだし、それ以前にこの文章を書いている今この時点で心が折れているのだから、出来るはずもない。今日も今日とて読む意味の全く感じることの出来ない文章をただただ垂れ流していて、もっぱら産業廃棄物に指定されないかというのが悩みの種なのだけど、そもそも毒にも薬にもならないようなものが有害認定されるわけもないのである。有害扱いされるものは、たいてい誰かにとって有益なものである場合が圧倒的に多いと個人的には思っていて、無害なものばかりになった世の中が果たして有益であるかを問われると疑問符を覚えるのも無理もない話じゃないかな。歴史は終わったと大見得を切って、世界中にWatchMeを配置するというのもある意味面白いけれど、そんなことになったらそれ自体が産業廃棄物扱いされるのではないか、というのが不安で仕方がない。
そんなところで、日に日に文章量が減っているのが自分の精神状況を明確に表しているようで非常に胸糞悪いので、どうにかして文字数を増やしたいものだとは思っているのだが、いかんせん意味のない文章をつづり続けるというのは思いのほか至難の業で、とはいえ意味のある文章をつづり続けるのもむつかしい。そもそも言語であるからして、どこかしらに意味を持ちえてしまうということを考えると意味のない文章という言葉自体がパラドクスを内包しているのだけど、この世界に言語が複数存在していることを考えれば、まあある個人にとっては意味のない文章をつづることも可能なのかなとは思ったりしなくもない。まあ出来る限り多くの人にとってこの文章が意味のないものであることを祈るのが僕に出来る唯一のことだ。さて、夏が始まる。