私の彼女は素数です

日記を書かなくなって久しい今日このごろ、一体どの程度のものが書けるのかという疑問に駆られてはいるものの、現在やる気というものが空気中の二酸化炭素濃度ほどしかないことを鑑みると、何か行動しようという意欲だけは尊重したく、このようなことをしている次第である。せめて月一くらいは更新しようと考えていたブログでさえ、もはや半年近く時が止まっていて開店休業状態。スイッチなるものがあるのであれば、誰でもいいので体中をまさぐってなんとかして見つけて欲しい。完全なる逆セクハラ状態も顧みない程度の投げやりさは唯一の美徳と言えるかもしれない。
まあその理由はいろいろとあるのだけれど。それはまたあとででも。

ともあれ、何がどうというわけでもなくこの半年間過ごしていました、というわけにもいかず、むしろ起こるはずのないことが、立て続いたと言っても過言ではない状況で、それは僕だけかと言われるとそんなこともなくて、というかほかの人たちの方が「想定外」の出来事が多かったはず。
僕個人に関しては予定通りの出来事が続いた。進級したことも周りの人たちには驚愕すべきことだったかもしれないけれど、僕にとってはあまりに予想通りの出来事で、それだけは胸を張って言える。
ブログの更新が滞っていたことも、端的に説明してしまえば、春先に引っ越してそれ以来ネットに繋いでいなかった。そして昨日ネットが開通してめでたく今日ブログ更新。こんななんてことはない事実も言葉選び次第では予定調和だの神の見えざる手だのいかにも中学二年生が好んで使いそうな言葉に帰結してしまう。
所詮運命論なんてこんなもんだよね。
まあ何箇月か前に「天罰」だなんて血迷ったことをのたまったえらいおっさんがいたけれど、合理主義が未だ権力を持ち、かつ無神論者だらけのこの国で神様が、なんて叫んで知識人面するなんてナンセンスにもほどがあって、せめて太陽の季節がきたからとでも言ってくれればまだ納得できたのになと思ったりもする。まあとにもかくにも三月に起きたそれは安部公房町田康、あるいは瀬戸口廉也でさえも慌てふためきかねない不条理で、もしかしたらカフカも草葉の陰から声を潜めて驚いているのかもしれない。実家にいた僕も当然うわあとびっくりして、家の中を徘徊する始末で、部屋の中に散らばった本やCDを片付けてたり、空になっていたペットボトルに片っ端から水を詰めるという錯乱ぶりで、思えば浴槽に水を貯めるのが最も手っ取り早かったような気もするが、そこまで頭が回らなかった辺り、どれだけ混乱していたかがわかるだろうし、そのあとにバイトに自転車で向かおうとする辺り、もう爆笑必死の一人芝居である。
それも、もう三ヶ月も前の出来事で、今は昔、さもありなんという感じ。ほら、天罰だ予定調和だなんて息巻いたところでそんなところでしょう?そんなことよりも単位を取ることに息巻かなければならないと思うのだけれど、のんびりしていた4月頃のつけは余りにも重くて、取り替えすには人一倍の「根気とやる気、もひとつおまけに元気に運気」が必要なのだけれど、一月遅れの五月病をこじらせそうなこの身においてはそんなもの絞り出せそうにもない。体を残り少ない歯磨き粉のように丸められれば、逆セクハラまがいのことをされる間もなく、たくさん出てくるのかもしれないけれど、あいにくなことにそんなサーカス団員みたいな真似ができるわけもなく、今日もこうして醜態を晒してはにへらにへらと生きています。
それにしても6月というのはどうにもジメジメしていて、こんなものを好むのは菌糸類か下水道に蔓延っている魑魅魍魎くらいなのではないかと思うのだけれど、髪の毛がもっさりとしているためにキノコなどと嘲られている僕でさえも気分が落ち込むのだから、好き好んで六月に飛び込む奴など誰一人として存在しないのではないだろうか、などと思うのだけどそれでも好きというものがいるのだから人類の多様性には驚きを禁じ得ない。そもそもあんな晴れやか五月にやる気がなくなってしまう症状が多くの人に起きてしまうというのが僕としては不可解極まりないが、そう考えればイギリスの人など毎日俯いて過ごさなければならないし、砂漠に住んでいる人々は足元おぼつかない中スキップをして過ごさなければならないだろう。
6月になると満員電車の人たちが全て陰気臭い顔をしていたらそれはそれで面白いけれど、そんなことが起こった日には駆け込み乗車も無くなるほど覇気がなくなってしまうのだから、困ったものだ。何が困ったかって駆け込み乗車というのは東京名物と言っても過言ではないのだから、それがなくなってしまえば東京の東京たる所以は消えてなくなってしまう。東京というのは人がゴミゴミと密集していて、ほとんどの人が時間に追われていなければ面白くともなんともないし、魅力も半減どころか全減と言っても過言ではなく、いわゆるアイデンティティとやらが失われているのに等しいのである。その点23区外ともなれば、人は少なくみなのんびりと暮らしているので東京と呼んでもいいのかと疑問になるところではあるが、正直なところ埼玉や山梨とそう変わりはないのではないかとも思う。ほら、電車賃めっちゃかかるし。
こんな感じで埼玉か山梨かよくわからないような僻地に住んでいるのですが、学校という閉鎖性も相まってもはやここはどこなのか、ムラ社会山窩?あるいは同和?などと差別用語がポンポン出てきてしまうようなところなのです。畑とかたくさんあるし。地産野菜とか売ってるし。八百屋とかたくさんあるし。
そんなこんなでようやく遅ばせながら大学二年目も始まりました、という挨拶で今回の日記はおしまい。このガラパゴス気取りの田舎、なんて言ったら地方の人には怒られてしまうかもしれないけれど、ともあれここからいつになったら抜け出せるのやら、などと憂鬱に浸りながら今日も眠りにつく。
憂鬱なのはたぶん月が欠けてしまうせいだね。