時のない日々

今日で2月も終わりで、年が明けてからのこの2ヶ月間何をしていたのかと問われると、何もしていないということをしていたとしか答えるすべがなくて、なんともやるせないというか不甲斐ないというか、まあそんな有様である。長い休みというのは心が腐ると言うけれど、心が腐るというのが何もしていないことだというのなら、まあ確かにそうなのかもしれない。とはいえ休息は誰しも必要なはずで、まあ冬休み兼春休み(うちの大学はほぼ1〜3月が休みである)の間に休息をとったと思えばいいだろう。野球だって、サッカーだってプロはオフを取るものである。まあ一年中オフと言っていい僕にはオンが必要なのではないかとか思ったりする。ところでこのオンとかオフというのはちまたで有名なやる気スイッチなるもののことなのだろうか?
長期の休暇、とくに冬休みとなると出不精になる傾向があるのだけれど、今年もいつもどおり部屋に引きこもっていた。部屋に引きこもって何をしていたかというと、まあ適当に本を読んだり、アニメを見たり。映画も見たいところなのだけれど、DVDを借りに行くのが面倒で友人に見に行こうと誘われない限りは見に行かないので、ほとんど見ていない。せっかく近くに映画館があるのに宝の持ち腐れもいいところだなあとは思う。とはいえ、ほとんどの時間はぼんやりとしているだけである。
僕はこの何もしていないぼんやりとした時間というのが結構好きで、特に冬だとあまり目立った音がしないのでとても気持ちがよい。普通にしていない音にも気づいたりして、普段知っているように思えるものがまったく違った視点で見えたりする。この素晴らしき世界、なんていうつもりは甚だないけれど、それでもまあ面白いものだなとは思う。生き急ぐのもいいけれど、まあこういうのもいいんじゃないかなあ。「優雅に生きることが最大の復讐である」なんて言ったりもするし。それにしてもおじいさんみたいな生活ですね。