終わりゆく夏

最近はなんだか過ごしやすい日和が多くて、今日なんか半袖では肌寒さを覚えるくらいだった。夏も終わりかあ、とふと思ったけれど、青々とした空を見たり、せみの鳴き声を聞いたりすると、暑さだけが先に行ってしまって夏が残っているみたいで、残暑じゃなくて残夏だなあとか思った。あれだけ長いように感じられた夏休みも残すところあと一週間かそこらである。時間というのは過ぎれば過ぎるものなのだなあ、とか思う。それにしても、夏休み終わりに宿題が終わっていないと焦る小学生の気持ちを20歳にもなって知るとは思わなかった。小学生のうちからこんなに切ない気分を味わうなんて小学生も大変だなあ。まあ僕が知らなかったのはちゃんとこなしていたわけじゃなくて、夏休みの宿題の類をやった覚えがないからなのだけれど。
長い休みというのは時間の割りにこなせることが少ないというのがよく聞く話だけど、その例に違わず僕もあまり何もしてない。いやまあ勉強は少ししていたけれど、それだけ。なんとも味気ないなあと思ってしまう。こう夏休みというと、どこかに旅行に行ったり、冒険に行ったり、というか普段味わえないような非日常的なことをしたいものである。日常というのは安息であるがゆえに退屈でその中にずっといると飽きてしまう。遊んだりしても、そういう鬱屈としたある種の閉塞感は残っていて、そういうときにどこか遠くに行きたいと思うのだ。きっとありもしないユートピアを求めているのだろうなあ。青い鳥症候群ってやつ。たしかあの話は幸せは最初から元の場所にありましたって感じの話だったと思うけど、ああいう話はどうも生理的に受け付けない。むかしからなぜか平凡な小さな幸せという類の話が大嫌いで、それ自体を否定するつもりはないのだけれど、自分は絶対そうなりたくはないなあと思っていた。たぶんそれが正しい形なのだろうと理解できた今でも、それは変わらない。別に幸せの大きさとかうんぬんがいいたいのではなくて、たぶんその輪が閉じているのがいやなのだと思う。なんだかショートした回路みたいに感じられて。まあだから終わりがあるということは健全なことなのだ。終わらない夏休みが欲しいなんて嘯いてはみたものの、やっぱりそうなっては困る。終わりがあるから始まりもあるのだし。