たったひとつのさえないやりかた

やるべきことの多さとそれに対しての時間のタイトさ、そしてタイトなのにもかかわらずその少ない時間を無駄に消費し続けているという罪悪感にも似た圧迫感。それらがどばーっと押し寄せてきて、辛い現実に対峙する能力がなくなる。ある程度時間を拘束されている間はそんなことを感じる必要も暇もないけれど、みだりに時間が空くと自分の管理能力のなさに打ちひしがされる。本当はきっとゆったりとした時間の中からこそクリエイティブな発想が生まれるのだろうけれど、今はきっとそんなこと必要でないことだし、その余裕もない。余裕がないことはろくな結果を生まないことは百も承知しているのだけれど、余裕を持ちすぎることもまた真で、その間を上手く調整できない僕はどうすればいいのだろうか、と途方にくれる。途方にくれた挙句、精神的に行き詰っていつも最悪の一手を打つというのがいつものパターンで、まあ貧すれば鈍するとはよく言ったものだなあ、と思わされる。今は現実に対峙することが面倒になって、積まれたエロゲを崩したいという衝動に駆られて仕方がない。「逃げ腰は癖になるよ」とは誰の台詞だっただろうか。そういえばあの人も二浪だったよなあ。さすがよくわかってらっしゃる。