感情の不一致

父が友人と飲みに行った話を聞いてなんとなく妄想をしていた。その人は44歳で年収1600万の独身女性らしい。田町のマンションに住んでいてもうお金は全部払ってしまったそうだ。お金は使わないからどんどん預金通帳にお金がたまるんだって。ちなみにその人も勤めている会社は今年度いっぱいでなくなる。会社がなくなった後どうするのだろうと思ったらすぐに就職活動をするらしい。それを聞いてなんとなく寂しいな、と思ってしまった。
幸か不幸か会社がなくなって時間が増えたのだから、お金も持っていて生活にそこまで困っていないのだし、もっとほかのことをすればいいのに。旅行でも行っていろんなものを見ればいいのに。やっぱり人間は働いていないと安心できないのかなあ。今まで守ってきた日常を手放すのには勇気がいるのかなあとか考えていた。あってもいない人に向かって勝手に仕事以外は何もない人間だと決め付けて寂しいとか考えるなんてまったくもって失礼な話である。そしてそこまで考えて僕の中に女性は結婚して家庭を持っていないといけないという先入観があることに気がついた。だから寂しいな、なんて感じてしまう。もしかしたらその人はバリバリのキャリアウーマンで(というかそれだけ稼いでいるのだからまあそうなのだろうけど)、仕事をすることに生き甲斐を感じているのかもしれない。だとしたら生き甲斐もなくお金を稼いでいない僕には何もいう権利はないのだろう。
そもそも家庭を持つことや趣味をたくさん持つことがいい人生につながるとは限らない。独身だったり、無趣味だったとしてもそれでその人生が充足しているのだとしたら、それはいい人生なのだろう。幸せを感じることには客観性なんて存在しないのだから。そういう人に向かって無趣味なのはいけない、趣味を持ちなさいと言ったり、結婚するべきだと言うのはあまりにも傲慢なことだ。価値観なんて人それぞれに決まっている。
だから何に対してもなにかこうあるべきというのはたぶんたいてい価値観の押し付けに過ぎなくて、それはお金が全てだと考える価値の一元化と大して変わらないのだろうなあ、とか感じてしまった。こういうこと考えると何が正しいのかよくわからなくなるから困る。